絵本フィロソフィー

優れた絵本には、人生がいっぱいつまってます。

絵本が伝える生と死

 

今から30年前の日本では、まだ、人の命は、死んでしまったら終わりで、「生」と「死」は対局にあるものという考え方が大勢をしめていました。だから、重い病を抱えた人に、余命の告知をすることは残酷なこととされ、周囲の人は、当人がそれに気づかないように必死に隠すのが優しさだとする考えが大勢を占めていました。

しかし、わたしは、もし自分の命が短いのなら、残された時間がどれくらいで、残された時間に何ができるのかを知りたいと思っていました。そのころ、寝返りも打てないほどの腰の痛みで立つのも困難になり、脊髄のがんの可能性もあるため、骨髄液を採取する検査を受けたのです。椎間板ヘルニアだという診断が確定してから、がんの可能性を疑ったことを医師は話してくださいましたが、なんとなくそれが、がんの可能性を濃く疑った場合の検査だということは、感じていました。もし、本当にがんであったら、おそらく、家族も医師も隠したのだろうと思います。

しかし、若くても、ある程度のことは考えるものです。検査を受けながら、動けるうちに、部屋を片付け、会いたい人にはあって、行きたいところに行っておきたいなどと、意外に冷静に考えていました。また、家族や友とどのように接したらいいだろうなどということも考えました。そして、やはり、周囲が隠そうとしても、本当のことを、教えてもらったうえで話したいと思いました。自分が本当に重篤な病なら、いくら周囲が隠しても必ずわかると思ったのです。そして、まもなく、自分の命が消えるというときにも、本当の気持ちを伝えられないのは、苦しいのではないかと思いました。

周囲の人が、自分のことを思いやって病名を隠すのなら、私も、一生懸命に気づいていないふりをするでしょう。一方で、まもなくやってくる命の終わりに向かい、準備もしようとするでしょう。それは、本当なら、信頼する人とともにできれば心強いのでしょうが、その人に対して、自分が気づいていないふりをしなければならないとなるとたいへんに孤独な作業になってしまいます。不安であっても、それにも一人で耐えなければなりません。

結果としては、私は、そのとき重篤な病ではなかったのですが、命の終わりを知るということについて、非常に考えさせられました。

このようなことがあって、当時、幼児教育学科の学生だった私は、たとえ、幼い子どもであっても、自分自身の生死について、感じたり、知ったりすることがあるのではないかと考えました。そして、その長さに関わりなく、与えられた「生」の時間をまっとうするために、子どものときから「生」や「死」というものを考える機会をもつとしたら、それは、どのような方法で伝えられるのがよいのだろうと考えるようになりました。「生きること」と「いつか必ず命の終わりがやってくる」ということは、子どもにも少しずつ伝えていくべきことで、そうすることによって、子どもは、人生で出会う様々な岐路で、自分自身を深く見つめ、自分に必要なものが学べる道を進んでいけるのではないのかと思いました。

また、病を得ている子どもたちのなかには、自分の病状や生きる時間に限りがあることを、言葉にはできなくても感じている子どもがいるに違いないと思いました。子どもは、大人が思っている以上に、本質というものに対する観察力も感性も優れていますし、意外に深い葛藤と闘っていることもあります。

元気で明るく、学んで成長するのが子どもだというイメージを全うさせるような接し方だけでは、子どもが、自己というものと対峙して葛藤を乗り越え、よりよい選択をして人生を生きていくことは難しいと感じていたのです。

そんなことを考える中で、出会ったのがこの絵本です。

今日の一冊

 

 絵本の奥深さを知ったのは、この絵本がきっかけと言っても過言ではありません。私の中での4番バッターとでも言いましょうか。

賢く、いつもみんなに頼りにされているアナグマが、「よく生きる」ということと、「命をまっとうする」ということを、まっすぐに、温かく私にも教えてくれました。

「よく生きるということ」、「命の終わりがくること」を、これほど温かく、優しく、まっすぐに、語っているこの本は、いつも本当のことを知りたがっている子どもたちの心に十分に応えるでしょう。

この本を子どもたちに読むときには、何度読んでもアナグマの生き方に心がゆさぶられて、いつも、涙と一緒でした。でも、それが、単にアナグマの死に流されたものではないことを、子どもたちは感じ取っていたと思います。

生きていれば、嫌なことも、逃げたくなることも、悲しいことも、怒りたくなることもあります。アナグマは、森の動物たちの「できないこと」に寄り添います。動物たちは、アナグマが寄り添ってくれたことで、どんなときもがんばれたのでしょう。ついに、できなかったことができるようになった思い出をそれぞれにもっています。アナグマは、残された動物たちの心に生き続けるのです。このお話は、たいせつな人を失ったときの悲しみの乗り越え方をも、深く語っています。

シンプルに、このアナグマのように生き、命を終えたいと思います。今、アラフィフといわれる年代になり、命尽きるまで、明日の自分が今日の自分よりもよく生きていることを願って行動するという毎日を送りたいと思います。

願わくば、アナグマのように、私を見送ってくれるであろう人に、豊かなものを残して。

驚くのは、1961年生まれの作者、スーザン・バーレイがこの絵本を制作したのは、美術学校の卒業制作として1984年のことであること。つまり、この絵本の制作に取り組んでいた作者は、まだ、20歳をすぎたばかりの学生であったことです。

人生に対する、深い洞察力に感服します。

 子どもたちが、独立し、家を離れる時には、この絵本一人ずつ持たせるつもりでいます。

 

 

 

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