絵本フィロソフィー

優れた絵本には、人生がいっぱいつまってます。

能力を生かすということは

 

昨日のメディアは、フィギアスケート選手の浅田真央さんの選手引退会見で、持ち切りでした。浅田選手の、地に足の着いた、ていねいに語られる言葉に聞き入りました。

会見や、演技の映像に涙した方も多かったことでしょう。かくいう私もその一人です。彼女の演技や、表情になぜ涙が出てしまうのでしょうか。

それは、たぶん、浅田真央さんが、常に、自分自身を偽ることなく、喜び、苦しみ、焦り、怒り、そして許すこととも向き合って、努力を続けてきたからではないかと思います。

もちろん、多くの方々の支えがあったに違いありません。浅田真央さん自身それに対して、一番に謝辞を述べておられました。

しかし、いかに能力があろうとも、身体的にも精神的にも厳しさをともなう選手生活のなかで、練習を続けるのも、ジャンプを跳ぶのも、怖さを味わうのも、カメラのフラッシュをあびてプレッシャーを受けるのも、浅田真央さん自身です。どんなに彼女に近い存在の人も、代わってあげられません。

子どものころから、自分の心と頭脳と身体で、自らが引き受けるべきものは何かを、ずっと一途に考え続けてきたからこそ、彼女の言葉や表情には一人の人間としてのどっしりとした考えが表れていて、私たちは心を揺さぶられるのではないかと思います。

 

彼女が乗り越えてきたものは、私には計り知れません。

会見を見た今は、ただただ、希少な経験を、今後のご自身の幸せと、社会の中で彼女が見つけたたいせつなもののために生かしていただきたいと願うばかりです。

 

今日の1冊

 

 

ここに登場する9人の兄弟は、姿かたちはそっくりですが、それぞれ、違った風変わりな能力をもっています。

「ちからもち」「くいしんぼう」「ぶってくれ」「みずくぐり」などなど。

大きくなって、「ちからもち」が、その能力を使って、国の王さまの難しい願いをかなえます。しかし、王さまは、ほうびをとらせるという約束を果たすどころか、その能力を恐れて、攻撃をしかけてきます。

そこで、兄弟は、次々と繰り出される王さまの攻撃に、能力を存分に使って対抗し、ついに、わがままで横暴な王さまをやっつけ、困らされていた人々を助けます。

どの子も思いきりよく自分の特技をつかっている絵に、勢いがあふれていて痛快です!

 

自分の能力や個性に絶対の自信を持っている人は、少ないのではないかと思います。

勉強ができるとか、運動ができるとか、歌が上手といった特技を持っている人でも、ちがう面では、なにか劣等感をもっているかもしれないし、スランプ時にはすべてが終わった様な気持ちになってしまうこともあるかもしれません。

でも、やっぱり、だれにもそれぞれに与えられた能力があります。それが、人とくらべて劣っているように思えるからと言って、自分はだめだと決めつけてしまうのはもったいないなあ。

社会は、実にさまざまな要素でできていると、このごろよく思います。

一つの建物ができるまでを考えてみても、土地を管理している人、設計する人、設計する道具を作っている人、建築材料を作っている人、資材を運ぶ人、運ぶ車両を作っている人、資材を切る人、組み立てる人、掃除をする人……。

さらに、考えれば、建築ができる社会や平和を守る人……。

直接的、間接的に、私たちの生きている世界は、脳のシナプスのように、本当にさまざまな人の力があちこちでつながって、維持され作られているのだと思います。

そして、ときには、そのつながりによって大きな感動が生まれたり、何かがまちがって悲しいできごとが起こってしまったりするのでしょう。

 

今日も、私の目の前にあることは、なんの変哲もない、とてもささやかなことです。

でも、そのささやかなことに、小さくても私の能力をいっぱいに使って、誠実に向き合って日々を過ごしたいと思います。あちこちで、たくさんの人々が、一瞬一瞬に生かした能力が繋がって、大きな流れとなって、どこかで何かを作りだし、いい社会ができていくのではないかなあと思います。

 

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